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ここは安井のきままな思いを綴る、自由奔放なまったく意味のないブログです
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見栄張った理論とかw
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2008/01/29 |
帰りに雨が降ってるんを聞いていながら、5分でそのこと忘れて傘も持たずに会社を出た。 駅から外へ出たときに雨であるのを目の当たりにして、自分がなんて情けないんだと後悔。 たまにはこうやって後悔、、、 いや、よくやってるかなぁ、、、 やっぱり後悔よりも反省するような心持ちだね!ども、こんばんは、安井です。
今日、ちょっと人と話しをしていました。 内容は日本人の美術的感性について。 そこでま、多々思うことがあったのですよ。
これ言い出したのは、ご飯中に寂しかったので話しかけたのが切っ掛けです。 日本人って、よくわからない美術作品を「抽象的」とひとくくりにするよな~って話してた。 実際自分は美術のことについてなんてちょこっとかじった程度で、それくらいしか知らないということは言っていた。 そして、相手は美大生で、いわゆる抽象的な作品を作っている。
自分は、日本人がその”抽象的”な作品が受け入れられないのは、歴史的な積み重ねとかあるんじゃないの? 例えば、江戸時代とかそれ以前だと庶民の美術といえば浮世絵のような、マンガの原型のようなもので、 現実のものを、見た目で解り易くすることが当たり前だったのに、 近代芸術でそんなんが入ってきてまだ100年くらいだと、なかなか受け入れられないんじゃないのかな? って、一つの仮説を言ったんだけど、
彼は違う理論を立てた、 日本人は上からの抑圧が強く、右向け右の社会が続いていた。 思想の統一化も図られ、曖昧なものが許されなかった。だから、抽象的なものは受け入れない。 って、そんな感じのことをいった。
正直言って矛盾だらけだったけど、それを信じているような感じであった。 だから、こういった。 思想の統一化とかって、昭和の戦時体制になってからじゃないの?または、明治明けたあたりからかな? それ以前はもっと庶民って思想も何もある程度は自由じゃなかったのかな? だから一概にそれが全てとは言えないのじゃないの?理論があるならもっと歴史的背景もみていかないと。 って。
ま、全然わからんこと書いてるね。書いてて俺も無茶言ってると思ってる。
いいたいのは、そこで彼は日本人の思想ってのがどういう流れをしていたのかって、他の案すらでてこなかったんだ。 つまり、今の現代で抽象的な美術作品が受け入れられない理由について、それだけの考えしかもっていなかったってこと。 それでいて、抽象的な作品が受け入れられないって嘆くのだ。 しかも、さっきのよくわからん矛盾理論も授業の一つで聞いたのをうおろぼえのようなものだった。
なんかね、根本的にこのへんがちゃんとしてないからじゃないのかなって、哀れに思えたのです。
商店で商品が売れないのを嘆くだけで、何もしていないような、そんな感じ。 日本美術ってそんなのかな。ま、きっと他にもっと頑張ってる人いるとおもうけど、これから担っていく若者が、美術全然知らない俺にすら説明できないものかって。
う~ん、きっと彼は中途半端に考えられるし、中途半端に作品が作れるんだろう。 つまり、完璧に考えられるか、完璧に作品だけ作るのなら、こういう中途半端な考えがでてこないんだろうな。
それを自分に当てはめてみたとき、同じようなことを言っている、考えていることがある。 中途半端な知識で、知っているように言いながら、反論されるとそれを返せない。よく日記に書く内容もそんなんですよ。 俺もダメなんだよな~。もうちょっと調べて、理解して、自分の言葉で出せるようになりたい。 彼と話しながらそんなこと思ってました。ラベル: 戯言 |
posted by
安井 @ 1:03
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Name: 安井
About Me: 「清原家」は解散しました。
IT関連のお仕事。アーティストサポート集団PYNEは永遠に不滅です。 座右の銘「与えられた状況を楽しむ」 モットー「考えないのは罪」 持論「人生経験論」
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